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2004-09-29

ライターズネットワーク湘南 第4回セミナー

講師 山田岳氏(詩人)

◆2004年9月28日  於:逗子郷土資料館、蘆花記念公園、逗子海岸等(昼の部)

第四回ライターズネットワーク湘南 
「詩の生まれるプロセス」講師 山田岳氏(詩人)
(昼の部9名参加、夜の部22名参加)   主に昼の部の報告と全体の感想(竹中)

ゲスト:やまだ がく
1959年東京生まれ(本籍:福岡県)
中原中也とジョン・レノンに触発されて詩人となる。
ノーベル賞の田中耕一氏と同期入社のサラリーマン生活を経て、放送作家に。
オリバー・ストーン監督の映画「ドアーズ」に触発されて、再び詩人の血が騒ぐ。
近年は環境活動に力を入れている。
先日、中原中也の京都(旧制中学)時代の下宿を発見した。

☆作品等
『エピタフ』1993年(自費出版)
「町家のなかの迷路」1994年、ミニ・オリジナルコンサート作詞賞受賞
「赤鬼たちの舞い」(『97年現代詩ベストセレクション』収録)
「震災シリーズ」1996年(『神戸からの熱き想い』収録)
アンソロジー「エピタフ(墓碑銘)」2001年日本ペンクラブHP電子文藝館収録
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/home.h...
小説「彼岸亭日常日記」2001年インターネット百円文庫
音楽批評(雑誌「ロッキング・オン」掲載)
☆放送作家、写真家、環境ジャーナリストとしても多彩に活動中。

 逗子の資料館を散策しつつ、詩を創り、互いに発表してきました。社会人になってから、こんなに勉強したことはないんじゃないか、と思うくらいの勢いで、みんな山田先生に楽しくしぼられました。(笑)ごく一部ですがご紹介します。

その1 逗子郷土資料館見学。蘆花記念公園散策。言葉をひろう。 
 風情のある公園内の散歩道をライターズネットワーク湘南の面々で、ぞろぞろと歩いてきました。木立の影には苔むした木の詩碑がところどころ立っており、枯葉の舞う中、読み上げつつ詩情の世界にひたるにはもってこいの環境。かつロマンチック。恋人と来るべきじゃ・・・なんて邪念を払いつつ、ペンと紙を持って詩をひねり勉学にいそしむ。ああ、私たちってけなげ~。

「蘆花散歩道」岩波文庫「自然と人生」より (碑のひとつから引用)

月を帯ぶ白菊 

墨の如き樹影を浴びて、
獨り中庭の夜に立てば、月を帯ぶる白菊ほのかに香りて、
花の月と囁く も聞く可き心地す。
俯きて、其一枝を折らんとするに、しとゞ露にぬれたり。
折れば、月影ほろほろとこぼれぬ。

 う~ん、美しい言葉。言葉ってこんなに美しかったのね、と一同、明治大正ロマンの世界を感じてしまいました。そうした碑が林立する木立を抜け小高い山を上りきると郷土資料館があります。昭和53年4月、市制施行30周年を記念し、逗子の名を広く世の中に伝えた明治の文豪・徳冨蘆花ゆかりの地、桜山八丁目地内に逗子市が設けたのがこの「蘆花記念公園」。郷土資料館はその公園内の一角にあり、逗子にゆかりの文学、民族、歴史(考古)などの資料を収集展示しています。クラシカルな建物で、本当にひっそりとした、たたずまいの戸建てです。この建物は、大正元年に建築され、徳川家十六代家達氏(元貴族院議長)が別荘として愛用したもの。木造平屋建のかわらぶき、190.77平方メートル。離れ(別館)は家達が孫の家英のために、大正5年に増築したもので、75.33平方メートル。文学資料としては徳冨蘆花と兄の蘇峰を中心に、逗子にゆかりのある文学者の作品などの資料を展示しています。
 つまり徳川のお別荘として由緒正しい建物なわけです。ただし、夏、避暑のための家なので、玄関まわりのしつらいも家具調度も、どこかゆったりとしたのどかな雰囲気が感じられます。ご家族のお写真も飾られており、着物姿にもモダンな洋装姿にも当時の優雅な時代がしのばれ、なお素敵。まだリゾートなんて言葉がない時代のことでしょうけれど、この時代の高貴な人々は、東京を離れ逗子の家に来ているこというだけできっと少し違った気持ちになれたのではないかと想像しました。往年の避暑地、逗子の歴史をちらと見た気がしました。ただし、案内の資料館職員の女性は、もの静かにしかし郷土愛のこもった説明をしてくださる真面目な方でしたが、お顔が真っ黒。体格といい物腰といい、どこからどう見てもサーファーでした。(笑)そこがまた現代の逗子なのかもしれないと皆で言い合ったことでした。

その2 逗子海岸散策。波打ちぎわにて詩をつくる。
 蘆花公園を出ようとぞろぞろと皆で丘を降り、坂を下って、海辺に出ました。ちょうど有名な葉山のデニーズのあるあたりです。橋の下に船が係留され波に揺れている様をぼーっと眺めたり、テトラポットの上を歩いてかなり海上の方まで歩いていったり(ボートが来るとそのモーターの波で足もとが大きくゆれてかなり怖かった)、周辺をうろうろしてから、デニーズのテラス席に陣取っていよいよ詩の講義を受けました。それは小林秀雄の例文を使った、こんな講義でした。

詩の生まれるプロセス(昼の部)         04/9/28
山田 岳   

■ 例文

 確かに空想なぞしてはゐなかった。
 青葉が太陽に光るのやら
 石垣の苔のつき具合やらを
 一心に見てゐた   (のだし)
 鮮やかに浮かび上がった文章をはつきり辿った。
 余計な事は何一つ考えなかつた   (のである)
 どの様な自然の諸条件に、僕の精神の
 どの様な性質が順応したのだろうか。
 さういふ具合な考え方が既に
 一片の洒落に過ぎないかも知れない。
 僕は、ただ 
ある充ち足りた時間があった事を思ひ出してゐるだけだ。
自分が生きてゐる証拠だけが充満し
その一つ一つがはっきりとわかってゐる時間が。

「無常といふこと」小林秀雄    
(行替えおよび()づけ:山田)

■ 例文2

 その旧家の奥に土蔵があつて、その前に二十坪ばかりの庭がある。そこに二三本木が生えてゐて、石で作った小さな祠があった。その祠は何だと聞いたら、死んだおばあさんを祀ってあるといふ。柳田さんは、子供心にその祠の中が見たくて仕様がなかった。
 ある日、思い切つて石の扉を開けてみた。さうすると、丁度握り拳くらゐの大きさの蝋石が、ことんとそこに納まってゐた。
 実に美しい珠を見た、とその時、不思議な、実に奇妙な感じに襲はれた(といふのです。)
 (それで)
 そこにしゃがんでしまつて、ふつと空を見上げた。
 実によく晴れた春の空で、真つ青な空に数十の星がきらめくのが見えた(と言ふ)(中略)
 昼間星が見える筈がないとも考へたし、今頃見える星は自分等の知つた星ではないのだから、別にさがしまはる必要もないとさへ考えた。
 けれども、その奇妙な興奮はどうしてもとれない。

 その時鵯(ひよどり)が高空で、ぴいッと鳴いた。
その鵯の声を聞いたときに、はつと我に帰った。
「信ずることと知ること」小林秀雄
(行替えおよび()づけ:山田)

実に奇妙な感じにとらわれた。
星が見えないはずのところに見えた。
われわれは人生の中でそういう不思議な感覚にとらわれる瞬間は、
きっと誰にでも必ずあるのではないか。
ただし、そこで
はっと我にかえった。
からよかったのであって、そのままその不思議な世界から帰ってくることが
出来なくなってしまった人もいる。
狂気と正気のはざまに生きていることを私たちは普段忘れて過ごしているが、
それは本来、ぞっとするほど怖いことである。
一瞬その世界にとらわれ、戻ってくることができなくなった人は意外と多いと思う。
日常生活を支障なくおくっているからといって油断はならない。
人間はかくも深遠で秘密裏な存在なのだ。
(講師の言葉を竹中が意訳しました。暮れゆく逗子の海を背景に聞いたので、なお怖かったです~。)

 その後、講師の指導で、各自逗子に感じた言葉をつむぎ出し、選び、それをなんと最後に先生がつなげて詩にしました。お見事!というより他はなく、これには本当に感激しました。じょじょに肌寒くなっていくテラス席で潮風にふかれつつ9名で必死で書き込んだメモ。しぼり込まれていく言葉。時間との闘い。緊張感とスリル。個人的な創作の賜物でしかないと思い込んでいた詩という作品を大勢で糸をよるように創り、まるで織物のようにひとつの形に仕上げてしまうことにびっくり。凄い。仕上がった時は一同興奮状態になりました。それが風景画のように逗子という土地を描きだしているわけで、詩作はこうして歩いて創るものだったのかなあ、それにとても、言葉って深いなあ、もの書きの世界は怖いなあとしみじみ思ったことでした。
 それはこんな詩でした。

夕ぐれの逗子の海 
東京からわざわざ来るファミレス 
葉山層1500万年まえに海からはこばれた土 
とんびがたたずむ(木にとまっていた)海辺の別荘
黒いひもでむすんだ四つ目垣 
死んだジャズマンたち 
セラピーのまち 米軍機の音 
とんびがピーヒャラ 
マチの木の門かぶりの家と古い洋館 
夏を惜しむ蘆花公園のセミ
晩ごはんのおかずをつる女

その3 夜の部突入。その後。
 夜の部は、総勢22名参加、お店のロフトは人でぎっしり。まず先に講義を聞きました。お酒とご馳走を前にしながら皆こんなに勉強したのはライターズネットワーク湘南始まって以来のことでした。(笑)
 再び例文が配られ、小林秀雄の心の動きとして<あやしい思ひ>の解説、そして心理学的な解釈。詩から評論へ。と解説が続き、最後に(以下講師の資料を引用します)
■ 詩の生まれるプロセス
 <あやしひ思い>の意識化

 無意識の中にじぶんが抱えている「何か」
 抑圧された無意識が突然意識化される「契機」
  場所、風景、文物
 目の前に出現した「何か」をとらえる「力」
 とらえたものを言語化

 意識化の意識のメチャクチャ抽象的な話に突入。もう皆シー――ンとしてカリカリと夢中でメモをとり、フィッシャーマンズバーは一瞬大学の教室と化したのでした。
 最後は「詩人にとっての詩の生まれるプロセス」が語られて、エンド。もう幹事としてはどうやって宴会モードにすればいいのか困るくらいの、もの凄い雰囲気でしたねえ。(笑)
 夜の部の講義の詳細はあえて語りませんが、皆はまってしまったらしく、また詩を創りたい。講義を聞きたいという感想が多く寄せられました。その後の宴会では他己紹介を行い、ややいつもより深めの語り合いに発展して、とても意義深い会でした。
湘南文学の研究をテーマのひとつに立ち上げたライターズネットワーク湘南ですが、まさかこんなに勉強することになるなんて。じつは地元でお酒飲むことしか考えていなかった幹事としては文学的収穫と反響の大きさにおおいに焦ったことでした。(笑)

参考資料

逗子八景 
逗子には昔から「逗子八景」といって風光明媚な場所があります。御紹介します。

○ 神武寺の晩鐘 ○浪子不動の秋月 ○披露山の暮雪 ○小坪の帰帆 ○沼間落雁
○ 山野根の夜雨 ○桜山の晴嵐 ○田超川の夕照 
これらの親しまれてきた場所で、今では昔のなごりをとどめない所も多くなりました。 

○ 逗子景勝10選
市民多数の応募によって決まった、「私の好きな場所」だそうです。
○ 逗子海岸と浪子不動 ○ 花記念公園 ○神武寺 ○大崎公園の展望
○岩殿寺 ○披露山公園 ○田超川の柳と桜 ○六代御前の墓
○ 名超切通・まんだら堂跡 ○久木大池公園

逗子のあゆみ 
時代 先土器 縄文 弥生 古墳 奈良 平安 鎌倉 室町 江戸 明治 
大正 昭和 年代 
主な出来事 
2万 1万 披露山遺跡 桜山岩ヶ谷遺跡 
紀元前300
披露台遺跡 池子遺跡群 多量の木製品が出土 桜山持田遺跡 
紀元後300 沼間台遺跡
長柄桜山古墳群 新宿横穴群 
700 沼間横穴群 山の根横穴群 岩殿寺創建(伝)神武寺創建(伝)
749 正倉院古裂に沼浜郷の名あり 
1180 三浦義澄、鎧摺城に陣する 源頼朝、小坪に遊宴 田超川にて六代御前処刑 三浦 義の四人の子を処刑 田超川原に八万四千墓の石塔建立 小坪飯島に和賀江島築造 名超切通・まんだらどうやぐら群 
1333 池子東昌寺建立 小坪大塚 
1471 久木妙光寺建立 北条早雲、小坪住吉城を守る 三浦道寸、北条早雲に敗ける 後北条氏の所領になる 
1590 後北条氏滅亡 
1638 池子村、鎌倉英勝寺領になる 三浦郡、松平大和守朝矩の領地になる
三浦郡、松平肥後守容衆の領地になる 三浦郡、松平大和守矩典の領地になる 三浦郡、細川越中守の領地になる 三浦郡、堀田相模守の領地になる 
1868 三浦郡、徳川氏直轄地になる 代官、江川太郎左衛門 
1868 三浦郡、韮山県に編入、12月に神奈川県となる 大小区制試行、第15大区第7小区(田超村)と称す 郡区制実施、田超村は三浦郡に属す 
1889 町村制実施、田超村と称す 横須賀線開通 逗子町と改称
1923 関東大震災 
1943 横須賀市へ合併 横須賀市から独立 
1954 市制施行(全国384番目)

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