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2005-07-21

ライターズネットワーク湘南 第11

◆2005年7月21

――お待たせしました。今日は『横須賀Dブルース』『千マイルブルース』の著者、山田深夜さんにお越しいただきました。深夜さんと言えば横須賀のイメージが強いのですが、お生まれは横須賀ではないのですね。

 生まれは福島の田舎で、高校までそこで過ごしました。バイクに乗り始めたのも高校の頃です。高校を卒業してから京浜急行に就職し、20年ほどサラリーマン生活をしていました。

――どうして横須賀に住むようになったのですか?

 ビートルズを生んだリバプールのような街、というイメージを持っていて、夢を叶える場所として選びました。音楽や文章で身を立てたいという夢を持って来たのですが、住んでみて見事に裏切られました。しょうもない街ですよ、ほんと。しょうがない街だと分かったので、もう自分でやるしかないと思い、働きながら夜はバンドをやったり、文章を書いたりしました。

――『横須賀Dブルース』で「東京で失敗し、川崎で裏切られ、横浜で絶望して、横須賀に流れ着き、もう後がないと踏ん張る」とありますが、そんな感じの街ではないのですか?

 よそから来た者はがんばっていると思います。でも、昔から住んでいる人は自分では何もしないんですよ。いつも誰かがやって来て、何かをやってくれるのを待っているだけ。

――その頃から書かれたものを発表されていたのですか?

 自分でプリントして、折って、ホチキスで留めて「キャベツのはらわた」というタイトルの自家製本の小説にして、仕事が終わってから駅前で売っていました。飲み屋さんに置いてもらったりもしました。それと並行してバンド活動もしていました。
 そんなことがきっかけで、タウン誌からエッセイを書かないかという依頼があり、原稿を書くようになりました。

――会社を辞められたのは、お金のめどがついたからですか(笑い)

 めどがついた訳ではないのですが、地元のタウン誌だけでなく、横浜のものにも書くようになり、それにバイク雑誌からも仕事が入ってきて、辞めてもやっていけるかな、と。

――神戸の大震災でボランティアに行かれたことも、会社を辞められたきっかけだと聞いていますが?

 そうですね。それもきっかけのひとつです。震災後の様子をテレビで見ていて、レポーターが取材中に泣き出したのを見て、自分も泣いてしまって……。会社にボランティアに行くから休ませてくれ、と頼んだら検討すると。
 現地に行ってはみたものの、足手まといになっただけで何も出来ず、自分の無力さを突きつけられました。「生きなきゃね」と被災された方が明るく話すのを聞いて、自分も妥協をしない生き方をしなくては、と痛感しました。でもすぐに辞めたのではなく、暫くはサラリーマンを続けていました。会社の仕事も好きでしたから。
 その後、京浜急行は勤続20年で定年にしようと思って、思い切って退職届を出しました。1999年の7月でした。

――ずいぶん、思い切りましたね(笑い)

 ええ、思い切り過ぎて喰えなくなり(笑い)、収入は10分の1になりました。でも自分は不器用なので、会社勤めをしながらでは無理だと思い、いつか賞を取れるようになろうと、音楽も封印して、文章だけに専念してがんばって、とにかく書きまくりました。
 仕事を辞めてまで書くのだから妥協はしたくない。これを書けば売れる、ということはせず、自分の興味がある社会問題ばかり取り上げていました。掲載してるのはバイク雑誌なんですけど、バイクの話はなし(笑い)。バイクに乗ってる場合じゃないだろう、という意味を込めて書いてました。
 最初は賛否両論がありましたが、自分が書きたいので書いていたら皆面白がってくれて、ファンもつき、編集長が代わるまで50回続きました。

――その後、どんな経緯で単行本になったのですか?

 最初は出版社に持ち込みました。その時期は他のバイク雑誌でも書いていて、原稿がかなり溜まってきたので、単行本にしたいと思って、いくつかの出版社に持っていったのですが、まったく相手にされませんでした。「山田深夜って誰?」という感じでした。
 それでもめげずに持ち込んだ大手から、未開封のまま返されたこともあります。読んだ上で駄目ならともかく、読んだかどうかも分からない、この外見でしょう? 挙句にガードマンに追い払われたりと、辛い目にも遭いました。それで一旦はあきらめていました。
 ところが、バイク雑誌のファンの皆さんが、各自で動き出して出版社回りをしてくれまして。

――まるで勝手連みたいな感じですね。

 そうです。そのうちの1人が、札幌の「寿郎社」という出版社に話を持ちかけたところ、興味を持ってくれました。自分がやっているホームページを3日もかけて読んでくれて、「面白い、本にしたい」というメールが来て。最初は金を取られるんじゃないか? 本当に出す気があるのか、と疑っていました。
 ところが、「信じてください、惚れました、社運を賭けます、今から横須賀に行きます」と言われ、本当に社長が会いに来てしまったのです。「社運を賭けます」とまで言われたら、自分もこの人に賭けるしかない、と思いました。そしたら2冊書いてください、と言われまして。それが去年の今ごろの話です。そこから始まり、本を出せるようになりました。

――失礼ですが、札幌の出版社から出されたのでは、セールス的には難しいですよね?

 ええ、寿郎社は小さくてお金の無い会社ですから、東京の大手のような広告は出来ません。ならば口コミしかない。口コミをメインにした販売計画を立てたところ、それが当たりました。バイク仲間やファンが口コミで宣伝してくれて、本屋さんに営業に回ってくれた読者の方もいて、幸いにも評判になりました。
 その後、評論家の北上次郎さんが『本の雑誌』で取りあげて宣伝してくれて、さらに広まり……。あまりの反響に一番戸惑っているのは自分です。

――「山田深夜病」というのがあって、それに罹るとバイク雑誌の深夜さんのエッセイをコピーして、読め、と人に勧めると聞いていますが。

 嬉しいことですね。『ミスターバイクBG』や『アウトライダー』といったバイク雑誌なのに、バイクに乗らない人も読んでくれているのは本当に嬉しいです。
 たぶん、不毛なまま終わる人生のはずだったんですよ。でも、急に注目されて戸惑っています。いろんな雑誌に取り上げられて、あんなに無視していた大手が揉み手してやってくるようになった。それは無いだろう、と帰ってもらったこともあります。今更なんだよ、と思って幾つか断ったこともあります。無謀ですね。

――確かに、仕事を断るのはなかなか出来ないですね。そんな深夜さんが、これからは大手の仕事もされるとのことですが、それはどうしてですか?

 そうですね、担当者の方が門前払いのことをきちんと謝ってくれて、熱心に横須賀まで何度も通ってくれたことが大きいです。信じられる担当者に会ったということが大きいと思います。
 思えば不思議なことです。ガードマンに追い返された自分のところに、反対に本社から菓子折り持って来るんです。世の中に急に引っ張り上げられて、戸惑いながらも3つぐらいの出版社からの仕事を受けようかと思っています。

――急に環境が変わって戸惑っていらっしゃるのですね。

 自分としては別に売れなくても……と思っていたこともあります。売れないほうが良かったかも。知る人が知ってくれて本を出すことが出来れば充分、とも思っていました。
 でも寿郎社が潰れたらまずいし、支えてくれたファンに申し訳ないので、自分で横須賀中の全部の書店を回って、注文を取りに行きました。ライターは皆、書店回りをするものだと思っていました。

――全部の書店とはすごいですね。著者自らが書店に行かれると、書店の方も喜んだでしょう。

 ところが、この人相でライダースーツにサングラスでしょ(笑い)。最初はその筋から来たのかと思われたり、話しをする前に「結構です」と言われたり。それでも挨拶に行くのが筋だと思って、最低でも二回りして頭を下げているうちに認めてくれるようになりました。それからはどこの書店も協力してくれるようになって、すごく嬉しかったです。売れないときや辛いときもありましたが、そうしたことが実を結ぶようになって嬉しいです。
 本当は日本中を回りたいのですが、そんなことをやる人は居ない、と止められています。
 とにかく、やって良かったです。

――そうした、いろいろな経験があって、今の深夜さんがあるのだと思いますが、深夜さんの作品は一見ノンフィクションに見えて、実はそうでないと聞いていますが。

 事実を元にしたフィクションです。元となる題材、例えばある病気の話だったら、その病気に関する描写に嘘は許されないので、取材して裏を取ってます。その上で登場人物に肉付けをしたりしてストーリーを創っています。

――子どものころから書くことが好きだったのですか? 

 それはないです。ただ読むことは好きで図書室の本は全部読みました。将来は何か「表現」に関わることをしたい、とは思っていて、文章だけでなく音楽も大好きでした。バンドを組んでハーモニカを吹き、コンテストにも残り、賞も取りました。
 でも、「表現」はどれか一つに絞らないと、と思って文章に専念してきました。

――深夜さんのブルースハープは泣ける、と評判ですが、もう音楽はやらないのですか?

 やはり捨てきれないので、また音楽にも戻りたいと思ってます。デビューできたら良いですね。

――影響を受けた作家は誰ですか?

 日本では丸山健二さんですが、いちばん影響を受けたのは短編の名手だったО.ヘンリーです。短編というかショート・ショートは普遍的なものだと思っていて、これからも書いていきたいのですが、依頼されるのは長編ばかりです。

――深夜さんの文章を読むと、落語的というか、落ちをつけずにはいられない、というサービス精神を感じるのですが。

 本当の悪人が出てこない落語の世界は大好きです。自分の書くものにも悪人は出てこないです。「花村萬月から暴力とセックスを取ると深夜になる」と言われています(笑い)。落語家にも「深夜さんのお話は落語じゃないの」と言われるくらい、影響を受けています。ホームページに3、4行書くにも落ちをつけたりして、ダジャレも好き。落語の間の取り方は、五、七、五なので心地良く、そのリズムで書くと文章がイキイキして読みやすいし、読む人の胸に届きますね。
 同じモノを読んでも、人情話と言われたり、ハードボイルドと言われたり。いろんな読み方をして貰えるのは嬉しいことです。

――確かにビジュアル的にも花村さんに似てらっしゃいますね(笑い)。ところで、先ほど子どものころに図書室の本を全部読んだとお聞きしましたが、そうしてたくさん読めば、文章も上達するのでしょうか?

 読む筋肉と書く筋肉は違うので、優れた読み手が優れた書き手という訳ではないんです。いくら読んでも面白いモノを書けるとは限りませんが、他人の書いたモノは気になりますし、読んで感心した箇所をメモしたりはします。

――では、どうやったら文章が巧くなりますか?

 書いた文章量としか言えません。反復の回数しかないですね。書いて、書いて、書いているうちに巧くなっていくものだと思います。特に比喩が巧くなります。比喩がしっかり書けるようになれば、誰にでもある程度の文章は書けるようになると思います。
 自分の書くものは創作ですから、ライターの皆さんが書くものとは少し違います。ライターは嘘を書きませんが、自分は嘘を書きます。それだけに巧い比喩が書けないと、読者に作品の世界に入って来て貰えないと思っています。

――巧い比喩を書くために、例えば意識的にボキャブラリィを増やそうとしたりするのですか?

 職業ですから、意識的にも無意識的にも訓練しています。これを文章にしたらどうなるのか、とか常に訓練しています。

――書くときには読者を意識しますか?

 もちろん意識します。自己満足ではだめで、世の中を意識しないと成長はしないです。自分にしか分からない比喩や文章を書いてもどうしようもない。お金を払って読む人が居るのだから、読む人に分かって貰わなければ意味がありません。
 始めの頃にお話しましたが、雑誌を駅前で売っていたことが良い経験になりました。酔っ払いが買ってくれて、次の日「面白かったよ。でも、ここはこういう風にしたほうが良いよ」とか言われ、そこで鍛えられました。ストリートで長いあいだ音楽活動もしていたので、同じ感覚ですね。

――角川の『野性時代』で始められる連載は、どんなお話になるのでしょうか?

 連載開始に当たって、「山田深夜に1万円渡したら何に遣う」という企画がありまして、それに3ページも割くなんて大抜擢でびっくりしています。その後、連載が始まる予定ですが内容は秘密です。

――最後にこれからの目標を教えてください。

 大手からの依頼以外にも、予算が限られているけれど自分に賭けてくれる出版社の仕事もやっていきたいですね。あとは、今までは短編ばかりしか書いてこなかったので、長編をどうこなすかが課題です。
 これからも、自分が納得できて好きなモノしか書かないつもりなので、バクチみたいなものですが、そうやって書き続けていきたいと思っています。

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