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2004-06-04

ライターズネットワーク湘南 第1回夜の部  2004年6月3日

◆ゲスト 東理夫さん[ヒガシミチオ]
1941年生まれ。作家。学生時代からカントリー音楽のファンで、アメリカ大衆文化にまつわる小説、ノンフィクション、音楽や料理の評論、エッセイなどが得意 。
1993年に出版された自伝的エッセイ『湘南』(早川書房)は湘南とともにある著者の生き様が投影された、鮮やかな写真集。そこで紹介されている母親の謎。その謎を追って北米を旅する小説が現在出版されている人気作「旅の理由」(集英社)です。ミステリー作家でもある東理夫氏に「旅の理由」の出来るまでを、ご自身の創作のプロセスを交えながら語っていただきました。

おいたちから

僕の両親はカナダの日系の二世です。彼らはカナダで生まれ育って、そして途中から日本に来ていました。僕は一人っ子で、しかも親父もお袋もよく日本語がわからなかったとういことがありました。だから今でも僕は誤字脱字が多かったり、意味を取り違えたりしています。よくもの書きになったなあと思うのですが、結局ものを書くことで学んできたのではないかと思います。ものを書くことはずーっと一生学んでいくことで、それには自分の中の血となり肉となったものを人に読んでもらうことが一番よいことだと思います。ただそのためのチャンスがあるかどうか、ではないかと思うのです。何か書きたいと思っている普通の人達とプロとのどこが違っているか、ですね。その話をこれからしていきたいと思います。
とりあえず僕の父親も母親も日本語が上手じゃありませんでした。特にお袋は日本語の漢字はほとんど読めなかったのです。たとえば、僕が小学校にいったときも学校からの通達みたいなものがありますでしょ? お袋はそれが読めないし、書けない。だから僕が読んで提出書類などを書いていました。小さい頃からそういう体験がありましたから、僕は日本字というか日本語に対する感性が他の人と違っていたかもしれないと思います。それから僕が子どもの頃のお袋は人とつきあうのが苦手で、当時は閉鎖的に生きていましたから、母と子が家の中で常に二人で過ごしていました。そんなこともあって、僕は昔から本を読むのが好きでした。

なぜ書くようになったか

何でものを書くようになったかということを考えてみると、たった一つ、嘘をつくのが非常にうまかったということがあります。作り事を作るのがとても好きでした。
小学校、3、4年くらいの時に工場見学に行きますよね?そうするとみんな感想を書きますでしょう? その時僕は、先生にこう言われたのです。本当のことを書きなさいと。どういうことかと言うとですね、工場見学に行くと、僕は工場よりも工場の横の扉が気になって仕方ないのです。あの奥に何があるのだろう、気になって気になって仕方ない。みんなは工場の段取りのことを書くのですが、僕は全然関係ないことを書くわけです。ですから先生に本当のことを書きなさいと、ずいぶん言われました。

大学在学中から音楽の道に

僕は高校ぐらいから自分はものを書きたい、と思っていました。特に人を楽しませる話をしたかった。今でもそうなのですが、一所懸命本を読んだりしておおむねいろんなことを知っていて、知っていることはそれなりに答える、でも知らないことは嘘をついてでも答える人なのです。人をおもしろがらせたい気持ちが当時からすごくありました。大学は中退しましたが、音楽の道にすすみ、肩書きが必要のないもの書きになり、したがって学校を出てから一度も就職をしたことがありません。
当初は音楽のフォークソングをやって、ギター教本を書いたりヤマハでギターを教えたりしていました。コンサートをしたり、雑誌にギターのことを書いたり……そういう事があって音楽の世界にいたのですが、自分の中でものを書くことがだんだんと大きくなり、音楽の解説を書くよりももうちょっと人の心に寄ったものを書きたいと思うようになってきたのです。日本の場合、映画の評論家も成り立たないし、音楽の評論も独立した評論家がきちんといませんで、ほとんど解説書くだけですよね。でも僕は音楽の解説ではなく評論をしていきたいと思ったのです。で、泉谷しげるとずいぶんけんかしました。彼は自分の中に鬱積している世の中に対する文句とか悲しみとかそれとか絶望とか恨みとかを歌にしてやっていて、ぬくぬくと生きている人間にわかるわけ無いんだと、当時はかなりひねていましたから。でもすべての人が同じ人生の経験を歩んでいるわけではないでしょう?だからそういうことは言えないと思います。だからこそ、批評とか評論をする人いうのはある程度自分も血を流して評論すべきだと思います。

評論の世界

山田詠美さんは私の承諾を得てから私の本を批評してくれと言っています。私のことを勝手に解釈して書いてほしくないという、意味です。それが大きな影響を持ってしまって、山田詠美はこれまでこう書いてきたからこうなんでね、と言われたくないということです。しかもそれで本が売れるとか、売れないとか、ありますから。新聞の批評って常にそうでしょう? その上ずるいのは匿名批評だったりしますからね。やっぱり大きい媒体には負けてしまうということがあります。僕たちは簡単にあの本おもしろい、おもしろくないと言う。言うことはいいんですけど、そこで批評の意味とその伝播力を少し考えていかなくてはならないと思います。何で僕がこんな話をしているかというと、実は本が売れるというのは口コミだからです。

本が売れるのは口コミ

結局、本がちゃんと売れるということは、あの本いいよ! と僕がこの方に話してこの方がよかったとまた伝えて……と、そういうことが大きな意味を持っています。僕たちは同じもの書きだったらその人の書いているものの、いいところを見つけてあげられる力を養っていく方がいいのかなと思います。そのことが、もの書き同士を育てていくと思う。甘やかすんじゃないですよ。育ててゆくのです。
ものを書いて食べていくためには今、二つの敵がある。それは中古の本屋と図書館です。現状を考えるともの書き殺すにゃ刃物はいらないわけでして、ほんと、何とかしていただきたいと思います。
出来れば是非物書きを育ててほしいのです。事に今の時代、本が売れないといわれていますが実は本が売れると言うことはどういう事か、ということがあります。それは後ほどお話したいと思います。

翻訳とミステリ―の世界

そんなこんなで音楽の批評からものを書くようになってきましたが、書くようになってから、少しずつ少しずつ、嘘をついている世界を人におもしろいよ、と広めていきたいと思いました。そして、たまたま幸運なことに晶文社の方に“ブルーグラス”という音楽の本を翻訳しないかと言われてしたのです。その時に出張校正室にいた担当の隣が早川ミステリーマガジンの編集長だったのです。その人は最近の若い人でミステリーのようなものを書ける人はいませんかと探しており、僕は彼に紹介されてミステリーの世界へ入っていくことが出来ました。それ以後小さな評論、ミステリー解説、ミステリーの批評などを少しずつするようになってきて、創作の分野に入っていったのです。今何人かの方が、ものを書く方、編集の方、これから書こうと思っている方、それから人の書いたものが好きという方たちだと思いますが、とりあえず一番最初には、誰かを楽しませようと思うのが正しいと僕は思います。何のために書くか。自分の経験を書きたい、或いは自分のいい考えを書きたい、或いは人を慰めたい、そういう何かちゃんとした目的を持って書くと必ず失敗します。一番簡単なことは、これを読んでくれるとおもしろがってくれるかもしれない、と言う気持ちだけだと思います。

ページターナーと柱本

ページターナーという英語の言い方がありますが、ご存知ですか?ページターナーは、本は、こうページをめくっていきますよね?で、最後のページが終わってしまった時、最初に何が書いてあったっけ?というような本のことです。それはそれで僕は大変な才能だと思うのですね。そういうことを何年も何年もくりかえしやってきた人が、結局いいものが書けてくるように思えます。
と言うことは何かというと、本当は誰かたった一人でよいのです。この世の中に生きている誰かの、胸の奥底まで届くものを書けばいい、本当は誰かの心を揺さぶるものを書くことが大切なんだろうと思います。でもたいてい、そういう本はつまらないです。
僕たちがミステリーの評論をするときに、仕事で批評する上で、「どうだった?」と聞かれて「ああ、これ柱本(はしらぼん)だったよ」と答えます。これは柱に途中でこの本をたたきつけたくなるから柱本、という意味です。かっとなって、柱にぶつけたくなるので、そういう言い方をするのです。これを読むために費やされた時間がどれほど長かったかと癪に障って仕方ない本もあれば、最後に裏表紙を閉じるのがもったいないような良い本もある。そういうものが書けるかどうか、自分で選んでいかなくてはいけないと思います。

書き直してはいけない

結局何を言っているかというと、いつもいつも誰かために何かを書きたい、おもしろがらせたいと一番低いレベルで書いていると長続きするということです。僕は僕で否応なく人間が変わってくるし、世の中も変わってくる。そうするとこの本を書いた時に、その僕の知っている人生はこうなんだ、僕の知っている人生はこうだったんだと書くんですね。でも、僕が5年たったら、それがちゃんちゃらおかしいんですよ。もっともっと人生を経験すると、こんな事やっていられないよ、とまた書きます。そうやっていくと、共通していることは、これもこれも書いたときに僕の人生の哲学或いは苦み深み悲しみ人を愛すること、そういうことは変わっているかもしれないけど、人を笑わせたいという気持ちだけは変わらない。そのことが大切だと思うのです。
昔、『メンズ・ノンノ』という男性のファッション誌に「南青山探偵物語」という連載を書いていました。ところが今読むと、おもしろいけど恥ずかしいのです。恥ずかしいので、今の僕は大人になったからこれはおかしいよ、こう直すよ、としたいのです。したいのですが書き直すことは、いけないことなのです。人はものを書いた瞬間からその文章は自分のものではない。だから他の人の手に渡った瞬間から、もう僕がいくら悔しくても恥ずかしくても、直してはいけない。その恥ずかしいという気持ちを大事にしないと実は次の段階にいけないからです。そういうことを考えると、僕が今まで書いたものは恥ずかしいものばかりですが、人はそうやってものを書くことを覚えていくのだと思います。昨日より今日、今日より明日を一歩ずつ高めに上っていける方法は、恥ずかしさだけです。いつかちゃんとして、きちんと書いて文庫本に書き直させてね、なんて言っていちゃだめなのです。その恥ずかしさを大事にしていかなくてはならないのです。
また編集をやっている方は、ものを書いている人間は恥ずかしがって書いていることをわかってあげてほしいなあと思います。そのことは非常に大切なことです。もの書きが恥ずかしがったり悲しんだり苦しんだり、血を流して書いているって事をわかっている編集者は滅多にいないですから。

よい編集者、悪い編集者

今僕たちもの書きにとっての最大の不幸は、最初に新潮社なら新潮社から話を持ったときに出会った最初の編集者が死ぬまでその人だということです。その人が書き手と一緒に成長していってくれるとは限らないし、その人はその人でもっと優秀な作家と会っていて、「あ~あ。あいつの書いたものを本にしたってしょうがない」と思っているかもしれない。要するに、その編集者の範疇からでることが出来ないということです。そのことは日本の文学作品の、作家の中の大きな首を絞めているところ、つまりその編集者の度量と、作家の書きたいことがうまく合致しないということだと思います。
そういう人は沢山います。もの書きでよく知っているやつだけれど、そいつの才能が発揮されないのはそうか、編集者があれだからな~、というところがあります。その編集者がだめだと言うことではありません。他の作家と会うと生き生きしたりできる、そういうこともあるのです。つまりフレキシブルに組み合わせることが出来ないことは両者にとって大変な不幸だということです。
赤裸々にものを書くということは、実は読者との戦いの前に編集者との戦いであり、それから出版社との戦いであり、そういうことを克服して本が出てくるということはとても大変なことです。しかもそれが出来てみたら本人が思ったような作品に仕上がっていなかった時の悲惨な気持ちがおわかりになると思います。素直にすくすく書いていける状況があったらもっと多くの人たちがいいものを書けるよなあと思います。自分の夢を持って、いつかは人を楽しませるものを書くぞという風に、あるいは人を楽しませるものがある人を、見つけ出してその人の力を発揮させてあげるぞという人が、よい編集者だろうと私は思います。

大手出版社から一番大事にしているものを出す

要するに自分の夢、自分がやりたいと言うことをずーっとやっていけばどうにかなっていくと思います。ただ、これからものを書こうという方は、出来るだけ大手の出版社にアプローチすることをオススメします。これはとても難しいことです。でも何でもいいから出してくれる出版社からいくと、上に上がっていくのが大変に難しいのです。上から降りてくるのは楽ですけれどね。
それから自分が書きたいと思ったら、いい出版社に出会って、その中でベストを尽くすことだと思います。僕が書きのこれまでの人生で一番悪かったと反省したことは、一番大事なものをとっていたことです。いつかはいいものを書くけれど、今は二番手、三番手を出していた、というところがあって、でも大事にとっておいたものが一番だめでしたね。やっぱり一番最初のチャンスは、こんな小さなチャンスでいいから自分のベストを出すことだと思います。

プロとアマチュアの違い

こういう言い方があります。誰でも一人一作はいいものがかける、その場合はコンスタントにいいものを書かなくていい、でも80%のものをコンスタントに書けるのがプロです。100%のものが一つ書けるのはアマチュアです。じゃあどうやったら自分が常におもしろがっているものかけるか、ではどうしたら一番いいか。それは自分の世界を作ることです。
僕は、東理夫という人の世界を作る事を、これまでものを書いたり、ラジオに出たりテレビを書いたり落語を書いたり、いろんな事をしてやってきました。自分の中の東理夫を紹介できる手段であれば、翻訳もですが、僕の世界を広げてくれるかと思ってやってきたのです。そのことはとても大事なことで、その人にしかない世界を早くつくっていくことなのです。それはもの書きになるためには一番大きいことです。

湘南に移り住んだ理由

僕は湘南・鎌倉に住んで17年くらいになりますが、それまでは青山学院の横の所に住んでいました。何でこちらに越してきたかというと、青山学院のあたりに住んでいたときは11時くらいに人が訪ねてきたり11時に呼び出されたり、ほとんど夜型だったのです。で、便利だし、みんなで飲んで楽しかったし、タクシーがあったからいつだってどこへでも行けたのですが、4日でウイスキーあけてる人生でしたからこわいな~こんなことをやっていていいのだろうか?と思って、それでこっちに来ることにしたのです。老人性早起き症も手伝って、今や早起きになりました。
6時に起きて7時に仕事をしてしまうと、だいたい夕方の6時になっても9時間労働ぐらいやっていることになりますでしょ?そうすると、6時からお寺の鐘が鳴るから、酒のんだっていいやってなるから10時頃眠くなっちゃって朝また6時頃に起きるわけです。頭使う仕事は午前中起きたとたんがよいのではないでしょうか?それでルーチンワークみたいなのをお昼からやっていくといいんじゃないかなと、今はそう思っています。

書くことは体力勝負

大成しているのはある作家のように、一つのこんな太い丸太みたいに、がーっと書いていくことじゃないかと僕は思います。そういうことが出来る人と僕みたいに出来ないでちょろちょろちょろちょろしている人もいるわけで、それはしょうがないですが。
いずれにしても、ものを書く事は体力勝負というところがあって、日本の作家って結末がこうしゅっと終わってしまう感じがしています。体力・気力充実している作家のアメリカの、イギリスの、或いはフランスの小説をみてみると簡単に終わらないですよね、最後まで体力勝負で、これでもか、これでもか、みんなこれで終わると思うと実はね、ってどんでん返しが出てきたりするでしょ?ああいうのはスタミナなのです。

健全な体に異常な精神が宿る

僕がつくづく思ったことは、僕が青山にいた当時は夜と朝が逆さまだったんですけど、たまたま昼間というか朝の通勤の時に山手線に乗っていたら、僕が書いた本を通勤の隣の人が読んでいたのです。僕が書いている本を、こんな昼間のこんな時間に人が読んでいるんだと、びっくりしました。僕が夜中の何もわかっていない時に酒飲みながら書いていたのは、非常に失礼というか、感性が違うんじゃないかとその時思ったのです。その瞬間から僕は、読んでくれている人たちのことをこれまで意識していなかったんだ、とすごく思いました。
健全な精神に異常な心は宿るのです、異常な心に異常な生活、異常な精神に異常なアイデアは宿らないんですよ。だから規律正しい生活をした方が異常なものを考えられるということはあるかもしれないなと、この年になって思います。山口瞳さんも書いていますが、スーパーマンで何でも出来るのが偉いんじゃなくて、本当は不器用でだめででも一生懸命やってかろうじて生きている方が遙かに大切なんだと。山口瞳さんぐらいまじめで一生懸命やって一生懸命人生を生きてくんだけど、どこか粗忽だったりどこかぬけていたり、失敗したり不幸であったりすることがああいう名作を生んでいるのではないかと思いますね。要はそこの所の、バランスの取り方だと思います。

自分の中の引き出しをつくる

どうしてすぐに書けないのか、何で長年テーマを温めているかというと、資料的な裏付け、心の熟成する度合い、あるいは書けるという自信というのを自分で待っているからです。そういうのが熟したときに書ける。アイデアの萌芽というのはみんなの心の中にあると思います。ただ一ついいたいのは、そういうアイデアの引き出しを沢山作ってほしいということです。
するとそこに蓄積した資料とか、アイデアとかが集まってきます。集まってくると、僕が考えていたトマトに関して何か書きたいなと思っていたことが、すごくよく資料が集まったり、また逆に、よく知っていたつもりのことがと全く異質の病巣を表してきて、僕が書きたかったことでないことが書けるようになってくることがあります。

登場人物の人生を創っておく

僕が冒険小説を書こうと思った時には、登場人物がたとえすぐに出てきて殺されちゃうやつでもその人の人生を考えてから書くわけです。その人の人生を書くんじゃなくて創っておく。何で片眼が濁っているのか、何でそういう物言いをするのか、何でせっかちだったりするのか、その人の人生を予め創っておかないと臨場感がないですから。
落語の話ですが、落語の稽古の時は、必ず家を考えなさいと言われます。おさんどんのなんとかさんを呼ぶのに、そこがいったいどれくらいの家の広さかなのかで、呼び方に違いがある。8畳間が二間続いてその向こうの台所に向かって呼ぶんだったら「おーーい」って、すごく遠いじゃないですか。四畳半に住んでいる植木屋の職人が寝ている自分の奥さんを「おい」って呼ぶのとはぜんぜん呼び方が違いますよね。
僕たちはそういうこと気がつかないから、何となくこの相手がそこにいて自分がどの辺にいるかわかるわけでしょ?そういうこと想定しいるというのは、落語もそうですけど、もの書きは自分が書いてる家のことも人のことも、物のこともみんなでわかってないといけないなと思います。そこを創ることがおもしろくて、実は小説を書いているんじゃないかと僕は思います。人生は大冒険だからこんな楽しいものはないですよ。やみつきになって、ジキルとハイドを創るフランケンシュタイン博士みたいに誰かを創り上げていくんですからね。これはやっぱり、どこかゆがんだ精神を持ってないといけないなと思います。

真実を書くことが小説家のやり方

僕がもの書きとしてやってきた生い立ちはそんな風です。質問とか、もし聞きたいことがあったらお話ししたいので何でも聞いて下さい。
Q.この本の中に出てくる登場人物は、皆さん味わいがあるのですが、これは本当にあった出会い、本当の話ではないのですか?
A.80%以上嘘です。で、ほとんど嘘です。(笑) 似たような人とか、あるようなことやあるような状況やあるみたいな風景はありますが、うちの親父とかお袋も、全くそうかといったら、大半が嘘です。勿論真実も大きな駒があったりしますけど、絡んできたことはほとんど嘘です。この本に書かれていることが僕の本当の半世紀だと思って、大変でしたね、と言う人がいるんですけれど、別に大変じゃないんですね。(笑)
こういう事がいえるかもしれませんね、小説っていうのはほとんど本当のことを書いて最後に嘘を書くのが正しいのです。で、ドキュメンタリーはその反対で、あり得たことのようだけど実は嘘だった、そういう風に書く。だからいかに上手に嘘を使ったということと、真実と事実とは違うということです。ドン・キホーテだったかな? 誰だったかが言ったのですが、事実は真実の敵であるという言い方があります。事実を語るか、真実を語るか。でも真実は人の心の中にある。誰の心にもあるんですよ。でも事実は1個しかない。そのことは、人がその事実をどう受け止めるかによってその人にとっての真実は違うとうことです。
真実を書くことが小説家のやり方なのです。事実を書くのはドキュメンタリーです。そのことというのは、僕はとても勉強になっていると思います。例えば今ここに集まっている誰かが死んだとする。死んだという事実はあるけれど、みんなが受ける彼なり彼女なりの、事のあり方がみんな違うのです。つまり真実はみんなそれぞれ違うのです、死んだという事実は変わらないにもかかわらず。そういう事が実は小説ということだと思います。だからこそ、同じ事件を大勢の人が書くことが出来るのです。

                                                          以上

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